中央構造線
中央構造線
新潟県糸魚川(いといがわ)と静岡を結んだ大きな地裂線であるフォッサマグナによって日本列島は地体構造上、東北日本と西南日本に分けられる。
西南日本はさらに諏訪湖ー三峯川ー小桂川ー天竜川を横断ー豊川ー伊勢湾ー宮川中流ー櫛田川上流ー紀ノ川ー紀伊水道ー吉野川ー石槌断層崖下ー豊後水道ー大分県臼杵ー熊本県八代に至る構造線で、太平洋の外帯と日本海側の内帯に区分される。
この大断層線が中央構造線で、臼杵からは伊万里に至るとする説もある。
朝熊ケ岳(三重県伊勢市)山頂から北を眺めると伊勢平野が一望され、朝熊ケ岳を主峯とする山塊の北斜面は急傾斜をなして伊勢平野にに接している。
この急崖こそが中央構造線である。
構造線を境にして北には伊勢平野の低地が、南は志摩半島の山地と丘陵になってまったく異なる地形となっている。
さらに北の伊勢湾に目をやると、二見町の東端、神前岬(こうざきみさき)から東北東方向に飛島ー浮島ー牛島ー答志島ー大築海島ー小築海島ー神島の規則的な島列(厳密には二列)が、構造線に沿って形成されているのがよく認められる。
中央構造線は関東から九州までほぼ東西に1000Kmも続く、我が国第一級の大断層です。
三重県では度会郡二見町のあたりから飯高町の高見山に至っており、中央構造線を境に北と南ではまったく成因の違う岩石が分布しています。
月出露頭は国内最大規模の中央構造線の露頭であり、領家帯(りょうけたい)と三波川帯(さんばがわたい)の境界が鮮明に出ているので学術的にも大変貴重な場所であると言えます。
月出露頭: 高さ 約80m 、幅 約50m 、勾配 38.5度
中央構造線を境に、南側(右側)は西南日本外帯三波川帯の黒色片岩、北側(左側)は西南日本内帯領家帯の圧砕岩(マイクロナイト)です。
朝熊山(あさまやま)山上から中央構造線上に並ぶ島々を見る。
(西側)左側の島から三つ程見えるのが飛島、少し離れて浮島、右側の大きな島が答志島
朝熊山(あさまやま)山上から中央構造線上に並ぶ島々を見る。
右手奥のほうに神島がポツンと見える。中央の大きな島は答志島。
三重県飯南郡飯高町月出の三峰山(みうねやま)登山道の途中にあります。
上部に見える道路は林道飯高北奥線(海抜644m)、下を流れる谷はワサビ谷(海抜560m)
2001.08.11
中央構造線と気
これはまったくのところ私個人の私感?ですが、少なくとも伊勢地域の中央構造線の近辺で非常に気のレベルの高い場所が何ヵ所も見つかっています。
これらのポイントをつなげるとまさしく、ほぼ中央構造線上に並ぶのです。
このホームページで紹介している、波動の良い写真集はほとんどそれらの構造線上のスポットです。
もし、この写真で何かを感じていただく事が出来れば、私としてはこの上ない喜びとするところです。
これは理屈抜きの感覚で捉えたものです。
ただし、残念ながらそれを証明することは出来ません。
しかし私以外に何人かの方は、私と同じ気を波動をとして感じることが出来るのは事実です。
理屈で考えた場合、中央構造線は約一億年以上前に地殻が線状に変動したと言われ、その上下動は約二万メートルとも言われています。
つまり、地中奥深く亀裂が入った状態だったわけです。
地球は太陽から分かれて出来たという説もあるようですが、いずれにしても地球の中心部は非常にエネルギーレベルの高い場所である事は間違いありません。
その中心部に向かって深い亀裂が入ったわけですから、その中心部からのエネルギーが亀裂の周辺の一部に色濃く湧きあがったととしても矛盾はありません。
いずれにしても、私達にとって有り難い素晴らしいエネルギーが構造線上のあちこちに湧き上がっている事は、私が強く実感するところです。
そして、その波動(気)は「気でみるあの世とこの世」にも書いた「胸の気」とも同じだと感じるのです。
位置関係
この図に示す様に、伊勢神宮の内宮と外宮はちょうど中央構造線を挟んだ形で存在するのです。
つまり、中央構造線付近に湧きあがる波動の良い気のエネルギーが伊勢神宮の境内や、その近辺に湧きあがっていたとしても不思議はないわけです。
その代表的なスポットが、先に波動の良い写真集でも紹介した伊勢神宮外宮のスポットなのです。
このことは、私以外にも複数の方々が体感しています。
面白い事に、この写真の場所の場合は立ち入り禁止区域になってはいるものの、特に何かをまつってあるわけではなく、ごく普通の場所なのです。
この他にも境内の何ヵ所かに同じ様に気のレベルの高いところがあります。
そのほとんどが、その場所を石で囲い白石(しらいし)を敷き詰めただけの場所です。
もちろんこうした場所の場合は神聖な場所とされて、そこで神殿へのお供え物(食べ物や宝物)を祓い清める場所となっています。
私には、古代の人達は地から湧き上がる神聖なエネルギーを感知しており、それを利用してお祓いや禊の手法を確立していたものとしか思えないのです。
面白いのは、構造線が伊勢湾に入る岬の名は神前岬(こうざきみさき)と呼び、さらに伊勢湾上に浮かぶ、まさしく構造線の真上に位置する島の名が神島(かみじま)と呼び、いずれも神の名をいただいているのは偶然でしょうか?
伊勢市付近の波動スポット
倭姫の命のご巡幸
奈良県桜井市三輪あたりから十三の行宮(かりみや)を営みつつ、ついに五十鈴川の川上に至るという儀式帳の全行程は500kmにも及ぶかと思われる。
いずれにせよ、倭姫命のご巡幸が単に行程を踏破することを目的とするならば数ヶ月も要しない。
もちろん、山狭の道をたどり、いくつもの川を渡らなければならないから、その困難さは現在の道路からすべての橋をなくした上で、徒歩で行くことを想像してみなければならない。
「日本書紀」では、ご巡幸が一年間で終えられたように読み取れる、「倭姫命世紀」では三十年以上をかけていると見られる。
儀式帳には年月の記載がない。
ご巡幸がどれほどの年月をかけたものであったかは、いつまでも未解決の問題であろうが、その目的については推測可能なようである。
昔から都を造営する際、風水が用いられていたという話を聞いた事がありますが、このことからも気を分かる人達がいただろうことは容易に推測できます。
つまり、倭姫命の一団は自分達にとって、いや当時の国家にとって尊い神をを祭るためにふさわしい、エネルギーレベルの高い良い土地を求めて、慎重に検証を重ねながらご巡幸なされたのではないのでしょうか?
もしそうだとすれば、この伊勢の地は古代の権力者によって認められた能力者達のお墨付きをいただいた良い土地であるという理屈が成り立つのです。
気のレベルを高める為の古代の手法?「気でみるあの世とこの世」に も書いた通り、私は「独自の気功」を通じて自身の波動レベルを高める為の手法として、まず胸の気を溢れさせる、次にその気を基準にして、様々なマイナスエ ネルギーを感知し、それらを川や海に流す事によって無駄な力を労することなく浄化する、という方法に気づく事ができました。
ところが、これと同じ事が伊勢神宮等の日本伝統の神道において実践されていたのです。(もっとも、いまではほとんどが形式化されてしまっていますが・・・。)
では、その手法とは?
まず、中央構造線上にある気のレベルの高い土地を大変な労 力を費やしたものの、ついにはそれを得ることが出来た事、さらに、その土地に部分的に湧きあがっているプラスエネルギーを土地全体に満遍なく行き渡らせる 手法を得た事、そしてそれらのプラスエネルギーによって様々なマイナスエネルギーを引き出し、それを川や海に流す事によって完全に浄化するという手法(ケ ガレを禊祓う手法?)を確立した事だと思うのです。
その為に不可欠なのは、中央構造線上の気のレベルの高い土地であり、そこに流れるマイナスエネルギーを流す為の清浄な川であり、そしてその川の行き付く先の大海原であり、その海から昇る太陽(東に海があること)なのです。
「気でみるあの世とこの世」の「意識はエネルギーであり気の一種である」にも述べた様に、マイナスエネルギー(神道で言うケガレ?)の最たるもの、それは人間の意識エネルギー(想念、念)だと思っています。
そのマイナスエネルギーを浄化するには、まずそれを打ち消すプラスエネルギーが必要なのです。
中央構造線上に湧きあがっているエネルギーもそのプラスエネルギーだと、私は実感しています。
もちろん私達人間そのものが、同様の純粋無垢な波動エネル ギーを胸の内に授かっていますが、それに気付き、そしてその胸の気を短期間で溢れさせる為には、初期の段階で瞑想等の手法を用いて、こうした外部のエネル ギーの力を借りる事が(恩恵にあずかる事)が非常に有効なのです。
こうしたプラスエネルギーによって、様々なマイナスエネルギーが出てきますが、原則的にはそれらをプラスエネルギーで打ち消していけば良いのですが、大変時間がかかります。
そこで非常に有効なのが、マイナスエネルギーを水に流す事なのです。
意識エネルギーの特徴は、「意識はエネルギーであり気の一種である」にも述べた様に、水、特に海水に融合しやすい為です。
この性質を理解していれば、昔からの手法である「水ごり」や「禊」での水にはそれなりの重要な意味がある事が分かります。
他にも、精霊流しや紙で作ったひとがたで体の悪いところをさすって水に流す行事、お盆のお供え物を川に流す行事(公害等の問題で今はほとんど行われていない様ですが)等々、同じ様な事が他にもいろいろ行われています。
従って、ほとんどの神社の場合境内に川や谷、あるいは涌き水、さらには海等の清浄な水が組み込まれています。
斉王宮で有名な三重県明和町の斉宮跡(さいくうあと)にも祓川という、その名の通り昔斉王が禊祓いをした川があります。
またもっと単純に、東に海があり、その海から昇る朝陽に向かって祈る時、その太陽からのプラスエネルギーを受けて、抜け出てきたマイナスエネルギーはその太陽の方向に流れ、そして海へと吸収され浄化されていきます。
(海は巨大なエネルギーを蓄積しており、その力が天然の浄化装置としての働きをしているのです。その海を汚すようなことがあれば、それは自分達、いや地球上の全生物の未来を食い潰してしまうことになりかねません。)
この様に見て来ると、我田引水ではありませんが、伊勢の地は五十鈴川、宮川という清流が西から東に流れ、その東には太平洋の大海原が広がっており、その上中央構造線からのプラスエネルギーという目に見えない自然の尊い恵みが無尽蔵に授かっているわけですから、私にはなんとも素晴らしい理想郷だと思えてくるのです。
他にも、感心させられる古代の手法があちこちに見受けられます。
例えば伊勢神宮には「お白石持行事」という行事がありますが、これは宮川の川原でこぶし大の白い石を拾い集め神宮に奉納し、神聖な境内等に敷き詰める行事です。
この白石は中央構造線上に多く見られる結晶片岩(泥質片岩・砂質片岩・緑色片岩)といわれる岩石に含まれ、波動で見た時その気のレベルは非常に高いものがあります。
一億年の昔の大地変動期のエネルギーを目一杯吸収しているのではないかと思われるほどです。
つまり、部分的に湧きあがっている構造線上のプラスエネルギーを、こうしたエネルギーレベルの高い白石を神聖な場所に敷き詰める事により、平均的にレベルの高い場所(土地、あるいは空間)を作り上げる為の素晴らしい手法だと思われるのです。
また外宮に「三つ石」(みついし)という自然石を三つ組み合わせて、その中央に三角形の空間をもたせた神聖な石組みがありますが、これは気で見た時、原始的なエネルギー収集装置の様に見えます。
すなわち石組みの中央の空間が周囲のエネルギーを集め、ある程度高い位置の空間までそのエネルギーを噴き上げる効果があります。
これも境内の気のレベルを平均して高める為の工夫だと思えるのです。
もっと面白いのは「塩」です。
よく塩は場を清める為に用いられ、あたかも塩自体に清めるパワーがあるかのように錯覚していますが、実はそうではありません。
塩は非常にエネルギーを吸収しやすい性質があります。(良いエネルギー悪いエネルギーに関係なく吸収する。従って悪い場所に置いておけば悪い波動の塩になり、よい場所に置いておけば良い波動の塩となる。)
化学的に合成されたものより、天然のミネラルを豊富に含んだ塩のほうがその性質が顕著です。
さて、ではこの塩がどのように気と関係するのかということですが、伊勢神宮では三重県二見町に塩田を所有しており、御塩殿(みしおでん)で荒塩を作り、神宮にお供えしています。
エネルギーを吸収しやすい天然の塩を、中央構造線上のエネルギーレベルの高い場所にある神殿にお供えすれば、上記の様に当然そのエネルギーを吸収し、非常に良いエネルギー(気)に満ちた塩になります。
その塩を使ったり、あるいはお下がりとして戴いたりした場合、非常に高いレベルの良いエネルギーに満ちた有り難い塩となると同時に、良い波動のエネルギーを周囲に拡散する事にもつながるのです。
この様に、それまで形だけで見てきたものが、気が分かるようになって初めてその意味が理解できると共に、古代の人々の偉大な研ぎ澄まされた感性と智慧に敬服するばかりです。
残念ながら、三つの石に囲まれた中央部の空間が小石で埋まっている。
本来、この空間が大切でありこの様な形で埋める事はあまり好ましくない。
役の小角(えんのおずぬ)は7世紀の仙人で修験道の祖と言われます。
吉野山には金峰山寺(きんぷせんじ)があり、金峰山修験本宗の総本山で役小角の創建と伝えらています。
また、大峰(峯)山は天武天皇のころ、やはり役の行者(えんのぎょうじゃ、役小角のこと)が開山し、修験道の根本道場(女人禁制)です。
この吉野山及び大峰山は中央構造線との位置関係の図に見る様にまさしく中央構造線の近くに位置しています。
役の行者は様々な呪術や超能力を駆使したという伝説が残されていますが、もしそうだとすると役の行者は気が分かり、しかもそれを駆使する人であったとしても矛盾はありません。
そして、その役の行者が吉野や大峰を道場として開いたということは、気のレベルの高い所であった為である事は容易に想像できるのです。
事実、私も天川村に旅行した時、道に迷い奇しくも大峰山の峠を越えて天川にいくルートをたどった事がありますが、特に洞川(どろがわ)温泉の喫茶店で休憩するため車を降り立った時、その土地一面から立ちあがる強いエネルギー(気)を感じました。
この感覚は久しく忘れていましたが、確か諏訪大社に行った時にも同じ様な感覚を覚えた記憶があります。
諏訪は新潟県糸魚川から静岡の富士川に至るホフォッサマグナと中央構造線が交わるところであり、その土地のエネルギーレベルの高いところである事は言うまでもありません。
このように中央構造線のエネルギーレベルの高さは修験道の開祖である伝説的な人物、役の小角も認めるところであると言うことが出来るのではないでしょうか?
空海と四国、高野山空海は、774年(宝亀5年)讃岐の国(香川県)屏風ヶ浦に生まれたということですが、幼い頃から秀才の誉が高く、若くして都の大学に入学しましたが、大学で学ぶ儒教に失望し、大学を辞めてしまったそうです。
その後、797年ごろまで四国の深山に分け入ったりして修業にふけったそうです。
中央構造線との位置関係に見られる様に、四国は北部を東西に構造線が横断しています。
このことから、空海はたぶん気の分かる人であったと推測できるのです。
そして、気のレベルの高い四国の山々において修業を重ねたと思われます。
事実、四国は八十八ヵ所もの霊場がある事は周知の事実です。
その後、804年に最澄と共に遣唐船で唐に渡り2年間の勉学に励んだ後帰国し、以降様々な偉業を成し遂げました。
そして816年より高野山の開祖に着手し、その高野山において835年に入定したということです。
この高野山も四国と同様、中央構造線との位置関係に見られる様に構造線とは非常に近い距離にあります。
このように、空海と中央構造線は若い頃の修業時代から深い関係にあり、そのことから空海は役の行者と同様に、気が分かり、気をよろしくする人であった事が容易に推測できるのです。
さて、三重県多気郡勢和村丹生(にゅう)に丹生大師(神宮寺)と丹生神社があります。
神宮寺は寺伝によれば774年(宝亀5年)勤操という僧が丹生神社の傍らに一堂を建立したとあります。
のちに空海も来訪してさらに諸堂・伽藍を造営したと伝えられています。
高野山は女人禁制でしたが、ここは奈良の室生寺と同じく女人の参詣が許されたので「女人高野」と呼ばれたそうです。
この丹生の地も中央構造線との位置関係に見られる様に、やはり構造線のほぼ上に位置します。
中央構造線近辺は鉱物資源が多く、銅や水銀等の鉱物資源が豊富であった事が知られています。(たとえば四国の別子銅山)
この丹生も古代から水銀の産地で知られ、今は神宮寺の付近に丹砂を採掘した坑口や坑道が残っている程度で、その面影はありませんが、一時は「丹生千軒」と呼ばれるほど各地から集まった鉱夫や商人で繁栄したそうです。
水銀は原始時代から江戸時代にかけて、その用途には変遷があるものの非常に貴重な鉱物資源であったとされています。
全国の丹生という土地には、大体水銀を産出し、採鉱氏族の丹生氏が存在していたということです。
丹生氏は主として中央構造線一帯で広く水銀の採掘に携わっていた氏族で、このことから四国や紀伊半島の中央構造線付近で活躍した空海との接点があったであろうことは推測できます。
弘法大師(空海)にゆかりのある井戸や温泉の名前が各地に見られますが、空海がこうした山の民との交流を通じて鉱脈や水脈、温泉等の知識を身につけていたとしても不思議はありません。
また水銀商人や釜本などの富商による多大の資金援助がなされたものと思われます。
いずれにしても、空海と中央構造線は切っても切れない関係にあったと推測するのは私だけでしょうか?